平成18年

=1月〜2月=


1/26 緊急再入院

今日は往診クリニックの日。
9日ぶりの往診日、とても長く感じられた9日間。

診察すると同時に、酸素の数値が異常に悪いという。
即、入院!
救急車で行きましょう、 と先日の入院時の担当医にてきぱきと電話してくれた。
私はその担当医の先生に先日家に連れ帰るときに、
「もし次に入院することがあっても、ここには来ないように。」
「次にいくときは、k病院かM病院に運ぶように」と 口すっぱく言われていたのを思い出していた。そのことを話して別の病院にしてと懇願したけど、往診の先生は、
「そんなことを言っている場合じゃないでしょ、同じ先生に診てもらうのが一番いい」
と、結局押し切られ、また舞い戻ることになってしまった。

あ〜〜またきてしまった・・・先生に何と言われるんだろう。怒られるかも。

案の定 「あら、お宅だったの?K病院に行くようにって言ったはずでしょ!」
「どうして来たの」と言わんばかりの、開口一番でした。
「電話がきたとき、私、違う人と勘違いしたわ」と。
でもこの先生の突き刺すような言葉には大分慣れていたので、聞こえないふりをするのが一番と、 しらんふりを決め込んでいた。

検査の間2〜3時間、どうなるか様子も分からず、待合室で待ち続けた。
結局、重症室(個室)に入院することになり、今後様子を見ることになった。
「これから良くなることはない、どんどん悪くなるばかりです」
「そうでしょ、もうこんなに痩せているし、臓器もやっと機能しているだけで、限界なんだから」
ー落ち着いたら退院しますー
ーもしものときは、人工呼吸器は希望しないー 等々
いろんな書類に署名捺印させられるごとに、なんだか悲しくなってくる。
涙ぐむ母に、私は鬼娘になり、
「今からメソメソしないで、しっかりしてよ」
「じいちゃんの前でそんな顔しないで!」ときつく言う。
「わかった、わかった」と涙をぬぐう母。

今日は母は病院に泊まりこむことに、私は一応家に帰って、父の一番下の弟に電話をし、 「分かるうちに、会いにきてほしい」と、親戚に連絡をしてもらうことにした。

1/27 父の弟

父は長男で、5人きょうだいです。
長女〈故)、長男(父)、二男、三男(故)、四男(故)、五男で、今は弟二人だけです。
今日は弟二人(夫婦で)、会いにきてくれました。
「だれか分かる?」との問いに、しっかり目を開いて 「○○」「△△」と、声は出ないが、口元の動きで、しっかり名前を言った。
その顔は、とてもうれしそうに微笑んでいた。
顔も、身体も、今は見るかげもなく、すっかりやせ衰えてはいますが、耳はよく聞こえます。
それに、目もしっかり見えていて、大きな目で、しっかりみつめます。
ちょっと見には、そんなに悪い状況なのかと思うくらいです。

ともあれ、今日は弟たちに会えて、本当によかった。

2/2

2/2 緊急事態 

2月1日、今日も雪。
午前、担当医より直電話あり 点滴が外れてしまい、もう血管はぼろぼろで刺せる状態ではないこと。
腿から刺すには、ある程度の危険が伴うこと。
「どうしますか?」
どうしますか、といわれても、点滴ができないことは、栄養がとれないことを意味するのだから、 なんとも答えようがない・・・・・
とにもかく、すぐに病院へ行くということで、車を走らす。
(病院には5〜6分で到着。こんなとき、病院が近いので助かる)
病室に入ると、いつものように点滴が下がっていて、静かに落ちていた。
ほっ!
電話のあと、看護師さんが挑戦して、うまくいったということ。
一件落着。

大丈夫ということで、とりあえず一旦家に帰った。
午後、二度目の雪かきをしていたとき、また病院から電話。
「容態が急変し、危ない状態なのですぐきてください!」
急いでまた病院へかけつけた。
駐車する時間のじれったいこと、 急いで病室へ行くと、K先生、看護師さん数人に、モニターをみながら蘇生の最中。
信じられなかった、そこで行われていることが、そこにいるのが自分の父だなんて。
「おばあちゃん、こっちにきて、声をかけてあげて!」
「娘さんもこっちにきて、ちゃんと見てあげて!」
先生は一生懸命、モニターの数字の説明をしていた(ような気がした・・・・・)
ここの数値が下がればもう・・・・・
「会わせたい人がいたら、すぐに連絡をしてください」
私が、廊下に出て携帯電話をかけようとしたら、
「ここにいて、ここで電話をしてもいいから」
電話をするためにその場を離れるなんて、私もどうかしていた。
何分ぐらいだろうか、時間は定かではないが、看護師さんががんばってくれたおかげで、最悪の事態は免れることができた。
モニターの心電図が、間隔が少しずつ安定してきた。
下がっていた血圧も、少しずつ上がってきた。
とりあえず、危険は脱したのだった。
ただし、決して予断は許されないとのこと、兄弟には連絡しておいたほうがいいということであった。

大雪の渋滞の中、連絡した兄弟、親戚の何人かがきてくれた。
夜も遅くまで一緒に待機してくれた。
こうして翌日の朝を迎え、父の容態は一応、安定した。
まだ生きたいと思う父の生命力に助けられた。

思えば・・・ 昨日の午前、病室で父の顔をのぞきこんだとき、父は、私をじ〜っとみつめ、左手を出して握手を求めた。
にぎったまましばらく離さなかった。
そして、言葉にならないけど、何かを話しかけていた。いつもと違うなと思った。
「もうだめだ」とも「もっと生きたいよ」とも・・・言っているような気がした。
でも今にして思えば、「もっと生きたいよ」って言っていたのだと、確信する。

 

2/4 点滴・・・とうとう腿点滴へ

腕の点滴がとうとう外れてしまったので、今日は腿からの点滴を試みることになった。
万一のときのために、待機してほしいとのこと。
時間がかかるということで、ディルームで1時間以上待つ。
T先生の手により、腿には無事に点滴の針を刺すことができたとのこと。
レントゲンで中の状態を確認し、OKということで点滴を続行することになった。

毎日、病室に入る前、「今日はどんなだろう?」と不安がよぎる。
そして寝ている父の「表情」を見て、ほっとする。そんな繰り返しの日々。
こんな日があとどれくらい続くのだろうか。

2/7 最終宣告

2時半、病状説明 たくさんのデータを示され、日々悪化をたどるばかりだと。。
鼻から管を入れるのも不可能なので、点滴栄養の道しかないと。。
などなど説明のあと、結局のところあとは時間の問題だということだった。
「最後まで当病院でみてあげることにしましたので、覚悟してください」
(しようがないので・・・そういう含みは痛いほど伝わってきました)
(今は、何を言われても慣れたのでしょうか、傷つかなくなりましたけど)
そして今日からは、できるなら病院に泊り込みしてほしいとのことだった。
「最後をみとらなくていいのであれば、泊まらなくてもいい・・・」
たんたんと話す先生のことばに、なんの感情もわかない自分がいた。
母も、ただだまって聞いていた。





2/9 それでも・・・

心臓はしっかり脈打っているのです。

声をかけるとしっかりみつめてくれます。

左手をわずかに上げて、握手を求めます。   
















2/11 小康状態続く・・新たな不安

良くもなく、悪くもなく。

担当のI先生より 「ずいぶん心臓が丈夫なようで・・・容態も落ち着いていますね。
  この分だと、ずっと付き添っていなくてもいいですよ。
来週月曜日には、鼻からチューブを入れてみましょう。」

鼻からチューブを入れるということは、流動食になるということ・・
ということは・・
転院または、自宅に連れて帰れということ?
転院先は、紹介してくれるだろうか?
転院といっても、こんな弱った身体で動かしても大丈夫だろうか?
色々、色々、また重〜い不安が頭の中でぐるぐる、離れなくなってしまう。
考えても悩んでも、なるようにしかならないけれど。

容態が安定して安心のはずが、なぜか不安が増すという複雑な心境。



平成18年2月13日 午前7時4分 永眠