平成16年10月、次男が婚約者と一緒に来盛、紹介される。
平成17年5月21日、名古屋にて結納。9月2日名古屋にて挙式。
平成17年12月24日、盛岡にて披露宴。
平成18年1月14日、岡山、倉敷にて披露宴。
こうして足掛け3年にわたる次男の結婚セレモニー全てを終え、今ほっとしているところです。
昨年9月には名古屋で両親子だけで、挙式をし、息子の転勤により、二人は千葉の方に居を構えた。
あとは、二人それぞれの故郷での披露宴を計画し、まずは盛岡でということで、段取りも順調に進みあとは本番を待つのみ。
前日12月23日、本人たちは千葉から、お嫁さんのご両親は岡山から、雪による新幹線の遅れもありながら、
なんとか盛岡にたどりついてくれました。
父は2泊3日の、ショートスティーをお願いし、23日午前10時半に迎えにきていただいた。
初めてのところではあったが、施設はあらかじめ見に行っていたので、安心して預かってもらうことに・・・・・・・・はず。
次男、お嫁さん、岡山のご両親と、6時半くらいから夕食に出かけた。
岩手の食材をふんだんに使ったお料理でのおもてなしをと厳選したお店のお料理を、喜んでもらえたこともあり、私はかなり自己満足でした。
そして、9時過ぎ帰路の車の中で、長男から電話。
「何時ごろ帰るの?」「もうすぐ帰るけど、何かあったの?」
「うん、なんでもない・・・帰ったら一緒にコンビニに行こうと思って」
いつもと違う・・・、なぜかそのときなんとなくいやな予感がしたのです。
帰宅したとたん、楽しかった食事とは一変してどん底に落とされるてしまったのです。
父が夕食時に誤嚥して救急車で緊急入院したと聞かされ、私は耳を疑い、一瞬では信じられなかった。
プロのヘルパーさんがいて、父のような重度の障害をもっていても安心して預けることのできるはずの、介護老人保健施設での事故でした。
明日は、次男の披露宴・・・父は・・・どうなる・・頭の中でいろんなことが交錯し、混乱状態。
「弟たち(次男とお嫁さん)にはとにかく内緒で」という長男の言葉に、気をとりなおして、
「買い忘れたものがあるので、おにいちゃんとコンビニに行ってくる」と言って、とにかく病院にかけつけた。
今までにないほどの心臓の高鳴りを抑えるのに精一杯。
病室の入口付近のベットを見て、最初に目に入った父の顔、そして目、、、目をしっかりあけて私をみつめてくれた父。
私は思わずベットの柵につかまって、へたりこんで、涙が・・・。
生きている・・・生きている・・・生きている・・・本当にそう思いました。
担当医師の説明。
ショートスティーの施設において、夕食時に全がゆ(自宅ではおもゆに近いものを食べさせていた)を食べさせたとき飲み込みが悪く、
吸引の準備をしている間にチアノーゼ、意識消失、一時呼吸停止した。その後吸引し、呼吸、意識回復し、N病院へ救急車で搬送し受診、そのまま入院。
吸引した際、ご飯粒が認められたということ。
その他、検査結果の細かい数値など説明された。最悪の結果であった。
呼吸一時停止したのだから、いろいろな後遺症が出てあたりまえということ。
専門的なことは100%理解することができないが、呼吸一時停止したということは、一度あの世に行ってきたようなものということ。
その時点で、当然、予断は許されないということでした。
不安をかかえたまま、私たち(母と長男と私)は、とりあえず帰宅。
夜中、もし電話のベルが鳴ったら・・・と思うとなかなか寝付けない。
あまり眠られないまま朝を迎えていました。
とにかく、今日一日だけ、何事もない日であってほしい、と思いつつ、披露宴会場のホテルへ行く準備をする。
次男たちには、何も言わないで平静をよそおいながら・・・でも父に最悪のことがあったら、次男には、怒られるだろうな、
「なんで教えてくれなかったの」と。
そんなことにならないようにと、心の中で祈る、必死で祈り続ける。
8時、9時、9時半・・・電話のベルはならない・・・・・
10時、ワゴンタクシーのお迎えで定刻出発。
ところが、タクシーの中で、私の携帯電話の着信音。
病院からだった・・・今日は何時ごろ病院に来られるかという看護師さんからの電話だった。
「5時ごろには伺います」何気なく対応し、電話を切る。
何事もなくてまずはほっとし、ホテル到着。
ーーー12月23日から24日にかけて大雪。12月の積雪の多さは、13年ぶりだとか・・・・・
よりによって、この23日、24日の大雪。
何もかもが、あまりにも忘れられない、よくも悪くも、生涯心に残ることになりそうなーーー
披露宴は、お嫁さんの両親も、本人たちもいない、いわば私の独断で進めた段取りであったにもかかわえらず、失敗もなく無事終わった。
さすが慣れたホテルの方々のお世話により、大成功で、自分でも満足のいくものだった。
親戚の叔父、叔母、そして従弟(従妹)たちも、たくさんたくさん盛り上げてくれ、雰囲気も上々だった。
普段あまり親交がない親戚の人も、やはり血のつながりなのだろうか、いざとなるとみんながそれぞれに協力し、場を作ってくれた。
その気持ちがとても嬉しかった。
披露宴の感激にしばし浸かり、帰宅後、とりもなおさず病院へかけつけた。
見た感じ、顔色はよかった。
もちろん父の身体の中では、いろんな後遺症が起きていたのだから、かなりきつく、たたかっていたのでしょう。
翌日25日は、岡山のご両親のために、観光と温泉1泊を予約していた。
「大丈夫だから、しっかり案内してあげて、温泉も楽しんでもらいなさい」と母。
祈る気持ちで、25日は平泉・中尊寺、毛越寺など案内し、夕方は花巻温泉へ1泊。
次男は仕事の都合で先に千葉へ帰ったので、岡山の両親とお嫁さん、私の4人で、温泉を堪能し、
ぎりぎりの綱渡りのような接待ではあったが、なんとか無事にできて胸をなでおろした。
その後父は、何度かの検査で、あるものの数値は回復すると、別の数値がダメになる、
○○はせっかく治ったのに、今度は○○のほうがどうしたものか・・・・などなど・・・・
決して治癒することのない、今より元気になれる保障はほとんどゼロに近い状態にもかかわらず、
父は自分の身体に鞭打ってがんばっているような気がした。
父は、平成17年の年を越し、そして平成18年を迎えることができた。
毎日毎日、今日も変わりありませんように・・・という私の願いに応えるかのように、父は、がんばってくれた。
1月14日、お嫁さんの実家、岡山での披露宴。
「大事なあちらでの披露宴なんだから、行ってきなさい」と言っているように、父の病状は、ある一定のところでとりあえず安定していた。
そうさせているのはお医者さんでもなく、医学の力でもなく、目に見えない父の強硬な意志のように思えてならなかった。
私は、13日なんとか岡山へ出かけることができた。
そして倉敷での披露宴に出席し、お嫁さんのご親戚の方々にもごあいさつができ、素晴らしい2度目の披露宴、
そして正装した息子たちの幸せそうな笑顔を、再度見ることができ、本当に嬉しかった。
父は25日間入院し、退院した。けれども本当は快癒して退院したわけではない。
これ以上の治療方法はないということ、そして最後は(いやな言葉です)自宅で、ご家族と一緒に静かに送ったほうがいいでしょう、
というお医者さんの意見です。
(でも父は今までもず〜っと家族と一緒でした。)
急性期病院では2週間以上は入院できないとか、あまりにも状態が悪いと(食事の飲み込みが難しい等々・・・・・)
引き受けてくれる病院がないのです。
一応紹介状を持ってある病院にお願いにいきましたが、あっさり断られました。
(文句があるなら厚生労働省に言ってください、となげやりでした)
今回のことで、最近の医療制度は、老人や障害者に優しくないということを、いやというほど知らされました。
今回のショートスティーでの誤嚥事故(お医者さんの説明書には事件と書いてありました)は、すごく納得できません。
当日の朝食までは、母と私で試行錯誤し、食事をつまらせないようにとおかゆや、おかずなどを工夫したり、
食べさせるときもずいぶん気をつかって、がんばってきました。
そして預ける日、母と私は、施設までついていって、食事のことなどもう一度詳しくお話をしなければと、話していました。
それなのに施設の車が、お迎えにきたとき、荷物点検だけをし、「一緒についてこなくてもいい」と断られてしまいました。
あのときの、母のがっかりした顔、不安そうな顔、私は少し気にはしていました。
「でもいいっていうんだから、お願いしましょう」そう言った自分が今は悔やまれます。
すごく悔しいです。誤嚥さえしなかったら、父は2泊3日のショートスティーで、久しぶりの外出(外泊)で、
綺麗な施設、優しいヘルパーさんに囲まれて、楽しい思いをできたでしょう。
施設の今回のことに(食事の与え方)憤りを感じないといえばうそになります。
いまだに、施設の責任者の方からは謝罪の言葉はいただいておりません。
でも今いろんなことで、もめたり・・・私はしたくありません。
毎日、穏やかに暮らしたい、それが私の常日頃のモットーなのです。
ただ、驚いたのは、今になって、1泊もしていないのに、請求書が郵送されてきたことです。
つまらせた夕食の代金まで、払わなければならないのでしょうか・・・・ねー
何はともあれ、父が家族を思う気持ち、困らせたくない気持ち、通じたのでしょうか。
次男は、小さいころから、大のおじいちゃん好きで、「おじいちゃんっこ」そのものでした。
父は、孫のために、大事な孫の披露宴なのだから迷惑はかけられないと、がんばってくれたのでしょう。
もしかしたら、先立った自分の父親、母親に
「まだこちらに来てはだめだよ、家族に迷惑をかけてはだめだよ」と、あちらの世界から戻されたのではないだろうか・・・・。
長い間の病気で、すっかり痩せて小さくなった身体を
気合だ! 気合だ!
ひそかに病床の中で叫んで、がんばっていたのかもしれません。
まだまだ父には生きていてほしい、長生きしてほしい
3月13日は、82歳の誕生日です。
今年もみんなで、盛大に誕生祝いができますように。